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平安時代中期のライバル女流作家などとされる
紫式部/清少納言が歩んできた人生を年表形式で紹介/比較。
基本情報の比較(紫式部の清少納言に対する印象は?)
紫式部 | 清少納言 | |
生年 (年齢差) |
973年頃 (970年説もあり) |
966年生まれ こちらのほうが年上 |
家柄 | 藤原氏 (藤原北家) |
清原氏 |
家柄の特徴 |
兵安時代に 主な政治分野で 一族が名を馳せる |
文学界の 偉人が多い家柄 |
宮廷で 仕えていた人物 |
中宮・彰子 (道長の娘) |
皇后・定子 (道隆の娘) |
関連人物 |
藤原道長 (道隆の弟) |
藤原道隆 (道長の兄) |
作家としての ジャンル |
小説家 エッセイスト |
エッセイスト |
生前の 文学作品 |
源氏物語(小説) 紫式部日記 |
枕草子 |
性格 |
自分を謙遜するタイプ | 自分の能力を 誇示しようとする * しかし紫式部段によれば 実際にはそんなに頭の良い 人間ではなかった模様 |
互いの印象 |
「紫式部日記」において 清少納言の事を 公式的に 「才能を鼻にかけている」 「でも実際の能力は 大したことない」 などと批判して 下に見ている |
? |
紫式部と清少納言の人生の比較年表
紫式部 関連の出来事 ■藤原道長の娘、 彰子の教育係) |
年 | 清少納言 関連の出来事 ■藤原道隆の娘、 定子の教育係) |
953年 |
定子の父、 藤原道隆が誕生。 (道長より13歳年上) |
|
彰子の父、 藤原道長誕生 (道隆の13歳年下の弟) |
966年 |
清少納言誕生。 (清原元輔の娘) |
紫式部が 京都市にあたる地域で 藤原為時の娘として誕生 *生まれ年が合っているとすれば 式部は少納言の7歳年下。 |
973年頃 |
|
977年 | のちに仕える事になる 定子 (藤原道隆の娘) が誕生。 清少納言より 11歳年下 |
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981年 | 橘則光と結婚 |
|
982年 | 橘則光との間に 「則長」という子供が誕生。 (その後、わずかな結婚生活を経て 橘則光とはすぐ離婚) |
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藤原道長の娘で、 のちに仕える事になる彰子が誕生 (式部より10歳以上年下) |
987年 | |
990年 |
一条天皇と 3歳年上の定子が結婚。 父の清原元輔が 80代前半で死去。 |
|
993年 |
定子の教育係として 宮仕えをスタート。 そして随筆 「枕草子」 を執筆しはじめる。 |
|
995年 |
定子の父である 藤原道隆が死去。 これにより自身の 立場が危うくなる。 (逆に道長の娘、 彰子には道隆の死が追い風に) |
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父の仕事の関係で 越前(北陸地方)へ引っ越す |
996年 |
|
京に戻り、親子ほど年が離れた 藤原宣孝と結婚。 |
997年 |
定子、長女出産 |
彰子が若干12歳で一条天皇に嫁入り |
999年 | 定子、待望の 男児(第二子)出産 |
[正確な年不明] 宣孝との間に女児、賢子が誕生 |
1000年 |
定子、この年の年末に 第三子出産と共に24歳で死去 |
結婚から2年で夫・宣孝が死去。 未亡人に。 その年の秋頃より、 「源氏物語」の執筆を開始。 完成度の高さが評判になる。 |
1001年 |
前年末に 定子が亡くなったのち 宮中から去る。 (宮仕えを辞める) [ポイント] *紫式部が宮仕えを開始する 約4年前、既に去っている それ以降の事は 不明な事ばかり |
一条天皇の気をひきたい道長のや思惑により この年の年末から 宮中に招かれて彰子の女房(世話役)に。 道長が製作にかかわるコスト (当時は貴重な紙代など) を負担し、創作活動がしやすくなる |
1005年 |
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21歳になった彰子に ようやく一条天皇との第一皇子が誕生。 この時期に「紫式部日記」が 創作されたとされる |
1008年 |
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彰子、一条天皇との第二皇子を出産 | 1009年 |
|
弟の惟規が死去 | 1011年 |
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この頃に一旦宮仕えをやめたとされる | 1013年 |
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彰子の父、道長が摂政に |
1016年 | |
道長、摂政の座を長男に譲る |
1017年 | |
年始から数年ぶりに 宮仕えを一時再開したとされる。 またこの年、道長が出家。 [式部の死期] 1019年頃に亡くなった説がある一方、 1014年頃に既に死んでいた という説もあり |
1019年 |
|
1025年頃 |
清少納言、 この頃に死去したとされる。 なお晩年には 藤原棟世という人と結婚し 小馬命婦という子が誕生している |
|
道長死去 |
1028年 |
まとめ
- 式部は日記にて清少納言の批判をしており、狭い貴族の中でわずかに面識はあったと思われるものの、「宮仕えしていた時期」は被らない
- 長生きしたのは清少納言のほうという説が有力
- 定子のほうは父親の道隆が早くに死んでしまった事が向かい風になり、一方で彰子のほうは道長の兄である道隆が早く死んでくれたことが追い風になった
- 2人が仕えていた定子と彰子の間にも10歳の年の差がある。そして彰子が一条天皇に嫁入りしてすぐ、先に嫁入りしていた定子は死んでしまった
紫式部と清少納言の面識は?
「女房として見宮仕えをしていた時期」は、まったく被らない。
ただし紫式部日記にて紫式部は清少納言の印象を明確に記録に残しており、
例えば980年代・990年代あたり、「女房としての宮仕え」とは関係なく、
何らかの集まりにて女性貴族の一員として顔を合わせていたような可能性があり。
(ドラマでも、980年代の時点における宮廷の集まりに2人が揃って参加しているシーンがあり)
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