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共に一条天皇の妻であり、父親も関連したライバル関係にあった藤原定子と彰子の人生比較年表と、
関係性がよくわかる家系図。
基本情報(天皇の妻の地位の順番)
- 最高位=皇后
- 2番目(ほぼ皇后と同格)=中宮
- 3番目=女御
- 4番目=更衣・・・・・一番ランクが低い
定子と彰子の人生の比較年表(一条天皇の出来事も交えて紹介)
一条天皇は文学好きだったとされ、藤原道長が有名な女流作家を複数、彰子の教育係に据えたのは、
一条天皇を宮中の彰子がいるところにやって来させるため(子作りさせるため)とも言われる。
定子 [基本情報] ■藤原道隆の娘 (道隆=道長の兄) ■ドラマでのキャスト 高畑充希 ■主な教育係 清少納言 |
年 | 彰子 [基本情報] ■藤原道長の娘 (道長=道隆の弟) ■ドラマでのキャスト 見上愛 ■主な教育係 紫式部 和泉式部 赤染衛門 藤原賢子(紫式部の娘) 小式部(和泉式部の娘) など (こちらのほうが豪華) |
定子の父、 藤原道隆が誕生 |
953年 | |
のちに定子の教育係となる 清少納言が誕生 |
966年 | 彰子の父、 藤原道長が誕生 |
973年頃 | のちに彰子の教育係となる 紫式部が誕生 (970年生説もあり) |
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定子 誕生 道隆の長女。 一条天皇の3歳年上 |
977年 | |
978年 |
のちに紫式部と共に 彰子の教育係となる 和泉式部が誕生 |
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980年 [2人に関連] のちの一条天皇が 円融天皇の第一皇子として誕生 幼名:懐仁(やすひと) |
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986年 [2人に関連] 一条天皇が即位。 第66代天皇になる |
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987年 or 988年 |
彰子 誕生 道長の長女 定子より10歳から11歳年下 一条天皇より7歳or8歳年下 |
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定子、 一条天皇に嫁入り。 「女御」として嫁入りし、 その年のうちに「中宮」昇格 |
990年 | |
定子の教育係として 清少納言が 宮仕えをスタート。 そして 「枕草子」 を執筆しはじめる。 |
993年 | |
父 藤原道隆が死去。 後ろ盾を失い 立場が暗転 |
995年 | |
兄の伊周/隆家が 花山法皇暗殺未遂を起こし、 それが原因で一度出家。 (しかしその後、 定子を愛する一条天皇に 呼び戻される) |
996年 |
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一条天皇のもとに戻ったのち 長女/第一子の 脩子内親王 が誕生 |
997年 |
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999年 11月 |
彰子が若干12歳(11歳?)で 一条天皇に 「女御」という地位で嫁入り |
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一条天皇との間に 待望の第一皇子(第二子) 敦康親王が誕生 |
999年 12月 |
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彰子の「中宮」昇格に関連し 一つ身分の高い 「皇后」というポジションに |
1000年 2月 |
「女御」から「中宮」に (道長の強引な手口) |
定子 次女(第三子) 媄子内親王 出産と共に 20代前半で死去 |
1000年 12月 定子死去 |
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前年末に 定子が亡くなったのち 彼女の世話役であった 清少納言も宮を去った。 |
1001年 | のちに彰子の教育係となる 紫式部はこの年に夫を亡くしたのち 秋頃から 「源氏物語」執筆を開始。 その後、道長のもとにも その評判が伝わったとされる。 |
1002-1004 |
ライバル定子が亡くなったものの なかなか一条天皇と 彰子の間には子供が生まれず。 道長は焦ったと思われる |
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1005年 | この年の年末から 道長のスカウトで 話題の作家・紫式部が宮仕えをスタートし、 彰子の世話役として働きだす *何故紫式部をスカウトしたかというと 物語を作るのがうまい紫支部を 彰子の側近とする事で、 一条天皇の気をひくためだったとされる |
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1008年 | 21歳になった彰子に ようやく一条天皇との第一皇子 敦成親王 が誕生。 |
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1009年 | 彰子、一条天皇との第二皇子 敦良親王 を出産。 またこの年から 和泉式部が彰子の世話役に加わり、 紫式部と共に活動し出す |
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1011年 [2人に関連] 一条天皇が死去 |
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1013年 | この頃に紫式部が 宮仕えをやめる。 そして1014-1019頃に 死去したとされる |
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1016年 | 彰子の父、道長が摂政に。 また一条天皇と彰子の第一子 敦成親王が即位 「後一条天皇」誕生 (第68代天皇に) |
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1017年 | 道長、摂政の座を長男に譲る |
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1018年頃 |
約10年間彰子に仕えた 和泉式部が宮仕えから引退 |
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定子の長男である 敦康親王が 若くして病死 |
1019年 |
道長、出家 |
1028年 |
彰子の父、道長死去 | |
1036年 |
彰子の子、後一条天皇が死去。 後継者として 一条天皇/彰子の第二子である敦良親王が 後朱雀天皇として即位 (第69代天皇) |
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1040年代頃 |
詳しい時期は不明ながら この頃にかつての世話役 和泉式部が死去したとされる |
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1045年 | 彰子の子、 後朱雀天皇死去 |
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1074年 彰子死去 |
彰子、2人の息子が先に死んでからも 87歳まで長生きし、死去 |
まとめ
- 2人は同世代の女性ではなく、10歳くらいの年の差がある
- 亡くなったのは圧倒的に定子の方が早い
- 定子は一条天皇より年上であるのに対し、彰子は一条天皇よりだいぶ年下。そのため、10代半ばの頃は幼すぎてなかなか一条天皇に興味をもってもらえず。
- 20代前半で亡くなった定子に対し、彰子は80代後半まで長生きした
- 父親が亡くなった時期に大きな違いがあり、道隆は995年に亡くなったのに対し、彰子の後ろ盾・道長は1028年まで生きた
- 定子の子供は天皇になる事はなかったのに対し、彰子の子(=道長の孫)は2人が天皇になっている
- 兼家の孫である点は共通
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